『モラル・ハラスメントの心理』を読んで

 9月22日に読んだ。

モラル・ハラスメントの心理 (だいわ文庫)

モラル・ハラスメントの心理 (だいわ文庫)

 

 

 

 

 雑な要約

「親孝行をしろ!!!」
と直接言えるような攻撃的な人による精神攻撃でなく
「あなたは自由にしていいのよ」(意:わたしの気持ちを推しはかって動いて)
と言うような迎合的な人による美徳や愛による精神攻撃をモラル・ハラスメントと呼ぶ。

建前による感情的支配を行う人は、しばし支配を意図していない。無自覚的に偽りの感情による交流を行っている。この偽りの感情は交流分析ではラケットと呼ばれる。ラケットの例として泣き落としが挙げられる。泣き落としは、哀れな自分を演出することで相手に頼み事を聞いてもらう手法だ。このようなラケット感情を受け取ると、表面上の感情に対しては「かわいそうな人には手を差し伸べないといけない」というような規範が働きつつも、本来の意味に実は気がついていて自分自身は断りたいという葛藤から、「かわいそうな人に対して見放そうとしてしまった」というような罪悪感が植え付けられる。

このような罪悪感の植え付けの繰り返しは、非言語的メッセージを受け取ることも自分自身の感情を見ることも禁じる。このような見えない鎖の中で育った子供はどうなるだろうか? 非言語的メッセージの認識が下手ということは、日常生活のコミュニケーションが下手ということにつながるし、自分自身が何をしたら楽しいかがわからないと生きていてもつまらない。生きることに意義を見いだせない大人ができあがる。

規範意識が強い人がモラルハラスメントの被害に遭いやすい。意図に気がついたとしても建前に逆らえないからだ。少しの譲歩が積み重なって奪われていく。騙されたと気がついたときにはもう遅い。

モラル・ハラスメントは客観的証拠により裁けないし、加害者は立場をコロコロ変えるから、第三者から見てわかりにくい。人間関係の中で弱っている方が被害者だ。もし被害にあっていると気がついたら、<いじめに耐えた自分自身はすごいと認めること><自分自身が必要なものと不要なものを分けること><自分自身の問題を見つけること>をしよう。

 

感想


一般的に言われている方の精神的攻撃をする人という意味合いでのモラル・ハラスメントをする人の心理を知りたくて手に取ったが、蓋を開けてみたら<ダブルバインドをする人はやばいよ!!!>という内容の書で呆気にとられた。

<繰り返し美徳で支配する人の危険性>・<モラル・ハラスメント被害による生きる力の損失>が本著で繰り返し書かれている。あまりにも繰り返されるから、後半になると飽きてきてしまった。けれども、美徳による支配のただ中にいる人は洗脳されたような状態であるから、煩いくらいの繰り返しがちょうど良いのだろう。

筆者はモラル・ハラスメントこそが日本社会の閉塞感・低迷の根幹にあるとも伝えようとしている。しかし、私は、表面上の徳を剥いで本音だけで生きる社会を作るということは不可能であると思う。一人ひとり、立場・都合・思想などは異なるのだから、共通語とでもいうようなルールはどうしても必要だろう。このルールこそが首を締めているから本末転倒だが。

ところで、本著で扱われたダブルバインドについてであるが、私なんかはこういうことをされても
「うわ、キモっ」
と内心毒づいて終わってしまう。最初からこの手のモラハラ加害者なんて眼中にもない。実際に接すると精神的に疲れはするものの、疲れるだけだ。しばらく一人になれば回復する。それゆえに、この本の中での弱ってしまったモラハラ被害者像を見て驚いてしまった。素直すぎる。

筆者自身に本著で描かれた被害者像のような真摯さ・素直さが有るからこそ、こんなにも丁寧に加害者を見て、本を出して被害者を叩き起こそうとする熱意を持てるのかもしれない。