出先で

9月4日にfc2に書いたものをはてなに移しました。

 

主要駅から徒歩で20分〜25分ほどかかる宿に泊まっている。近くに小さな駅があるわけではないものの、宿の目と鼻の先の所にバス停が有って、そこに停まるバスのいずれかに乗れば主要駅にでられる。

はじめて来たとき、あまりの広さに迷子になってしまった。ずっと宿に居てもどうしようにもないから、また駅で迷って用事に遅れてしまうことを避けるために駅まで出た。先程書いたように駅まではどのバスに乗っても良い。存外に乗り場までの道筋を探すのには苦労しなかった。宿には2時間後に戻ると言っておいたので、まだ十分に時間が有った。もうすぐ昼だからということで昼食を摂ることにした。

炭火の上に鉄板が有って大きな肉が焼かれている。舌も焼かれている。そのあまりの生々しさに、舌を引きちぎられる牛の姿を見た。彼らは食べられるために生まれてきたのだろうか。食べられるために産まされる。工業製品のように生産される。あぁ、だから畜<産業>なのだろう。もう既に死骸だ。タンパク質だ。残せばただの生ゴミだ。穢れを一方的に押し付けられた人々。押し付ける人たちのエゴ。そういうものにも目眩がした。他の生命体の肉を喰らうことがシステマティックにできるのは、システムとしての人間が生命体として強者だからか? なにはともあれこれを残せば生ゴミだ。
――そう思いにふけりながら自らの舌を噛んだときのような感触を噛み締めていた。

行きは良い良い帰りは怖いとはよく言ったもので、行きのバスの向かいにバス停はなく途方に暮れていた。確か、駅の下の階の方にバス停が有っただろうと思って見てみた。地名がわからない。バスの番号にしても上一桁しか覚えていない。しかたなしに近くの店に入り店員に聞いたが、わからないとのこと。別のところでの警備員に上一桁の番号を伝えたらバス停を教えてくれた。そのバス停に行ってみたものの明らかにバスが違う。案内所を探してみたところ会社が違っていたらしい。案内所の人から「あちらの〜」との説明を受け、別の案内所に行ったが、その案内所も乗ってきたバスとは違う会社の案内所だった。ようやく、乗りたいバスの会社の案内所にたどり着き、なんとかバス停にたどり着いて宿に帰ることができた。

肉を喰らう自分自身の何かに吐き気を催したものの、出先で連絡手段も持っていなくてタクシーに金を使えるような状況でもないときの迷子というピンチで我に返ることができた。これを書いているのもまだ昼頃で、一日が二日になったようである。肉体は疲れているが。早起きは三文の得というのはこういうことだろうか。