スクールカースト

fc2で書いたものをはてなに移しました。

1軍トップ以外は気づいているらしいのに、なぜ誰にも壊されずスクールカーストは維持されてしまうのだろうか? 身の回りのそのような階級をぶっ壊すのを画策する人って少ないのだろうか? 立ち回りとしては確かに目立たないよう息を潜めておくのも悪手ではないのだけれども、それでは全くもって根本的解決にはならないだろう。一クラス単位からでもやってみたら、後輩にも波及して、過ごしやすい人が増えるかもしれないのに。小学校は個人単位でのカーストなのでまだ自力での地位向上が目指せる余地があるぶん救いがあるが、中学校からはグループ単位の評価になるから、しんどいだろう。集団 in 集団心理とでもいいますか。あの年頃の人間をやたらと押し込める環境だと、どうしてもみんなしんどいもんなんですかね。

『五行循環』を読んで

9月22日に読んだ。 

五行循環

五行循環

 

 

年中行事のしきたりなどが苦手で、ルーツから学べば少しはしきたりについて強くなれるかもしれないと期待して読んでみた。

無謀にも予備知識無しで読んだら、案の定理解に苦労したが、現代の科学法則でない法則による世界が垣間見えて興味深かった。

ただルーツからしきたりを学ぶという目的に対しては些か内容が濃すぎた。私自身にはここまでの濃い知識はこの分野に対しては必要無さそうだし、頭の悪い私には手に余るものだからということで手放した。

9月15日にfc2で書いたものをはてなに移しました。

 

核による終末が予想されていた。戦による終末が予想されていた。しかしそのような形での終わりは来るのだろうか。戦いをするほどの余裕も気概も残っている『先進国』はどこだろうか。人口はどのように管理されているのだろう。自滅の音を聞きたくなければ『先進』に対する所に行けば良い。おそらくは。そうすれば生まれる音、早いサイクルを目の当たりにできるだろう?

戦せずとも人口減によりじわじわと自滅していくだろう。便利な生活が人の手を奪うと、人工知能時代のことも気にかけられている。仕事に対して人が多い。そこで人は不要な仕事を作った。不要な仕事はストレスを多くし、人個人に求められるハードルも上げた。こうして文明の利器を享受しているが、実は便利な生活は人を減らすこと、人類不在の無菌室を作り上げることにほかならないのかもしれない。

かつて奇形児は生まれてすぐに殺されていたらしい。普通と明らかに違えば無かったことにされていたらしい。明るみに出たのはいいものの、そしてどうなったのか、それぞれの幸せ、そういうことについては私はよくわからない。医療は生きながらえる期間を長くした。ネアンデルタール人から10万年後のホモ・サピエンス。10万年も変化に要したのか。しかし医療が、人が生み出した医療こそが新しい人類を作りかねないだろうか。SFのような話だね。もしも早いサイクルで生まれ死んでいく所に新たな遺伝子を注ぎ込んだら爆発的に広がって、また大きな変遷が起こるのだろうか。

出先で

9月4日にfc2に書いたものをはてなに移しました。

 

主要駅から徒歩で20分〜25分ほどかかる宿に泊まっている。近くに小さな駅があるわけではないものの、宿の目と鼻の先の所にバス停が有って、そこに停まるバスのいずれかに乗れば主要駅にでられる。

はじめて来たとき、あまりの広さに迷子になってしまった。ずっと宿に居てもどうしようにもないから、また駅で迷って用事に遅れてしまうことを避けるために駅まで出た。先程書いたように駅まではどのバスに乗っても良い。存外に乗り場までの道筋を探すのには苦労しなかった。宿には2時間後に戻ると言っておいたので、まだ十分に時間が有った。もうすぐ昼だからということで昼食を摂ることにした。

炭火の上に鉄板が有って大きな肉が焼かれている。舌も焼かれている。そのあまりの生々しさに、舌を引きちぎられる牛の姿を見た。彼らは食べられるために生まれてきたのだろうか。食べられるために産まされる。工業製品のように生産される。あぁ、だから畜<産業>なのだろう。もう既に死骸だ。タンパク質だ。残せばただの生ゴミだ。穢れを一方的に押し付けられた人々。押し付ける人たちのエゴ。そういうものにも目眩がした。他の生命体の肉を喰らうことがシステマティックにできるのは、システムとしての人間が生命体として強者だからか? なにはともあれこれを残せば生ゴミだ。
――そう思いにふけりながら自らの舌を噛んだときのような感触を噛み締めていた。

行きは良い良い帰りは怖いとはよく言ったもので、行きのバスの向かいにバス停はなく途方に暮れていた。確か、駅の下の階の方にバス停が有っただろうと思って見てみた。地名がわからない。バスの番号にしても上一桁しか覚えていない。しかたなしに近くの店に入り店員に聞いたが、わからないとのこと。別のところでの警備員に上一桁の番号を伝えたらバス停を教えてくれた。そのバス停に行ってみたものの明らかにバスが違う。案内所を探してみたところ会社が違っていたらしい。案内所の人から「あちらの〜」との説明を受け、別の案内所に行ったが、その案内所も乗ってきたバスとは違う会社の案内所だった。ようやく、乗りたいバスの会社の案内所にたどり着き、なんとかバス停にたどり着いて宿に帰ることができた。

肉を喰らう自分自身の何かに吐き気を催したものの、出先で連絡手段も持っていなくてタクシーに金を使えるような状況でもないときの迷子というピンチで我に返ることができた。これを書いているのもまだ昼頃で、一日が二日になったようである。肉体は疲れているが。早起きは三文の得というのはこういうことだろうか。